2011年6月25日土曜日

正論と暴論の分水嶺

こんにちは。市川です。昨日の熊谷39.8℃は異常でしたね。

毎度思いついたことを述べさせてもらっていますが、、、

開かれた議論ということを考えるとき、“どのような意見でも一旦は外に発表され、そこで自由な議論がなされてこそ真理の発見につながる”という「思想言論の自由市場」という考え方を思い出します。

これこそ自由な議論を支える根幹部分といえるものですが、世の中には「誰が見てもこれはあまりにもひどい」という暴論が存在するのも確かです。

意見表明の自由というものが完全な相対主義に立脚するならば、正論と暴論の分水嶺あるいは言論的価値のヒエラルヒアということを語ることはタブーであり、ましてや「言論」NPOであれば尚更のことです。

どんな意見でも潰しにかかってはいけない。それなら、いわゆる「まっとうな意見」を増やしていくほかはありません。

単なるどなり合いを続けたり、「全部あいつが悪い」という話を始めたりした時点で知的な議論は終わってしまいます(そのほうが面白いとは思いますが…)。知的な議論をしようとある程度苦しむことが、「まっとうな意見」の醸成につながっていくのかなあと思っているところです。