こんにちは、インターンとして参加して間もない楠本です。
始めてから2週間にもなりませんが、その間に感じたことについて適当に書きます。
唐突ですが、少なくとも一定数の人には、社会に対して何がしかの問題意識を持つ、ということがしばしばあると思います。
僕の場合だったら、日本において政策に関する真っ当な議論・報道・説明が少ないこと、その一方で政局絡みのワイドショー的報道が多すぎること、世論(せろん)があまりにも簡単に特定の方向になびくこと、等々に対して「これはヤバイだろう」と随分前から思っていました。で、ニュースや新聞を見ながら文句垂れる訳です。「国会議員でありながらその程度の議論しかできんのか」とか、「下らんゴシップなんざよりきちんと制度の解説しろ」とか。
そんな時期が長かったのですが、最近になって、いつまでも外野からブーブ言ってるだけではイカン、そろそろ何かせねば、と思い立って、言論NPOに参加してみることにしたのです。
その中で、一つ思ったこと。それは、「行動することの難しさ」です。
上に、僕の昔からの不満を書きました。それと、言論のミッションとの間に共通するものを感じたから、ここにいるのです。しかし、僕自身が一体何を問題だと思い、どのような社会を理想だと思うのか、その突き詰め方がまだまだ甘いことを痛感しています。「強い民主主義」は良いキャッチフレーズですが、それを借用して満足してはならないし、もっと自分が語るべき言葉を探る必要があります。「何のために」がなければ、「何を為すべきか」の答は導かれないからです。
一方で、こうも感じます。沈思黙考のみでは、何も探し当てることができず、したがって何の行動も起こせずに終わってしまうのではないか。まず行動してみて、そこから自らの理想が何であるかを考えていけば良いのではないか、と。
ここに上に書いた「難しさ」があります。結局のところ、動きつつ、考えていくしかないのでしょう。えらく当然の事を書いてる気もしますが。
言論NPOでは、そうやって「動きつつ考える」ことが出来るし、またそれが求められるのだと思っています。そしてここは、僕のようにぼんやりと「何かをしたい」と考えている(けど一人ではどうすれば良いのか分からない)人間を受け止めてくれる「器」「受け皿」なのだなあ、としみじみ考えるのであります。
2009年6月13日土曜日
2009年6月7日日曜日
政治のことば と 政治とことば
みなさん こんにちは。そしてはじめまして。
インターンの石田です。
最近はブログもカラフルで色んなことができるんですねー。
ビックリです。でも絵文字はなんとなく自粛しておきました。。v
それはともかくとして、今言論NPOは、間近に迫った政権選択選挙をにらみながら、
現政権下での政治の評価作業を進めています。
評価は、経済、社会保障、外交、環境…と複数の分野ごとに行ないます。
そしてそれぞれの分野に担当インターンがいて、評価活動にも参加しています。
というわけで、雇用担当のわたしは、
日々厚労省や国会図書館のHPに出かけて行って、資料や議事録を読み、
年末の派遣村のように仕事も家も失ってしまった人たちがいる一方で、
介護現場のように、過酷で慢性的に人不足に陥っている現場がある、
そんな問題山積の現状に、政治はどんな答えを出そうとしたのか
(あるいは出していないのか)チェックしようとしています。
そこで考えるのは、政治の語る「ことば」についてです。
一体どれくらいの政治家が、国民に向かって「ことば」を発しているのでしょうか。
用意された書類をそのまま読んだり、簡単に発言を撤回したり、
半世紀も前のおじいさんとの思い出を語ったり、
おじいさんのスローガンを党首選でかかげてみたり(単なるノスタルジーなんじゃ…)
わたしには、今の政治家から、今の国民に向かった「ことば」が発せられているようにはあまり思えません。
政治が「くに」に起こった問題を解決するためのものだとするならば、
政治がどういう議論をして、どういう選択をして、
どういう解決策を取るに到ったのか、国民に対してきちんと説明するのが本筋です。
そして国民に語るならば、その「ことば」は、
半世紀も前に使い古されたひなびた「ことば」ではなくて、
シンプルでも、将来に希望が持てるような「ことば」であってほしいと思います。
インターンの石田です。
最近はブログもカラフルで色んなことができるんですねー。
ビックリです。でも絵文字はなんとなく自粛しておきました。。v
それはともかくとして、今言論NPOは、間近に迫った政権選択選挙をにらみながら、
現政権下での政治の評価作業を進めています。
評価は、経済、社会保障、外交、環境…と複数の分野ごとに行ないます。
そしてそれぞれの分野に担当インターンがいて、評価活動にも参加しています。
というわけで、雇用担当のわたしは、
日々厚労省や国会図書館のHPに出かけて行って、資料や議事録を読み、
年末の派遣村のように仕事も家も失ってしまった人たちがいる一方で、
介護現場のように、過酷で慢性的に人不足に陥っている現場がある、
そんな問題山積の現状に、政治はどんな答えを出そうとしたのか
(あるいは出していないのか)チェックしようとしています。
そこで考えるのは、政治の語る「ことば」についてです。
一体どれくらいの政治家が、国民に向かって「ことば」を発しているのでしょうか。
用意された書類をそのまま読んだり、簡単に発言を撤回したり、
半世紀も前のおじいさんとの思い出を語ったり、
おじいさんのスローガンを党首選でかかげてみたり(単なるノスタルジーなんじゃ…)
わたしには、今の政治家から、今の国民に向かった「ことば」が発せられているようにはあまり思えません。
政治が「くに」に起こった問題を解決するためのものだとするならば、
政治がどういう議論をして、どういう選択をして、
どういう解決策を取るに到ったのか、国民に対してきちんと説明するのが本筋です。
そして国民に語るならば、その「ことば」は、
半世紀も前に使い古されたひなびた「ことば」ではなくて、
シンプルでも、将来に希望が持てるような「ことば」であってほしいと思います。
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